先日、「魂が抜けている」と指摘された経験について書きましたが、今日はちょっとした補足です。
もう10年前くらいに、ネット上で見つけた「願いの叶え方」というシンプルな題のページをプリントアウトしたおいたものを、掃除しているときに見つけました。
すごく本質的なことが書かれているのに、あの頃には全然理解できていなかったなぁ、と、改めて振り返り。同じ文章を目の前にしても、自分自身のフィルターによって、理解が浅かったり深くなったり、本当にあるんだなーと知れて、ちょっと感動しちゃいました。
備忘録します。
なぜ願いを叶えることに「統合」が必要なのか
願いを叶えまくる人に必須の条件は「自己一致」「統合」が済んでいるかどうかは、とても大切です。
(そもそも、自分というものが複数あるっていうことが、謎、ではありますが、「ある」と仮定して)
統合を進めていくと、「現実は100%本質の自分が望んだ通り」であることが納得できて、自分の人生を、良いことも悪いことも含めて、まるっと自己肯定することができます。その安心感は、どんな幸せにも代えがたい、穏やかであたたかなものです。
(自己愛、そのまんまの自分を受け容れる、といった感覚です)
昨年の後半から、じわりじわりとその変化に気が付いている自分をみつけることができます。愛すべき自分にとって、大切な一人として、相手を愛することができています。その行動力には、自分でも驚かされるばかり。
話を少し戻しますが、スピの世界からみると、普段「わたし」と認識している自分は、おおまかに3つの自分が存在していると言われています。
一つは高次元の自分。自分の中にある自分より賢い部分、ハイヤーセルフとか、守護霊とか、呼び名は様々だと思いますが、魂とも言えるかもしれません。(感覚的なものなので、名称は置いておきます)もう一つは、低次元の自分、本能的な、動物としての部分です。三つめは、自分が認識している自分、エゴや自我といわれる部分です。
よく、スピ本などには「魂からの願いは必ずかなう」と書かれていますが、叶っていない現実をみて、以前は、これらの記述を読むたびに「いや、◎◎が欲しいって、この願いは魂からだよ?なのになぜ叶っていないの?」と、突っ込んだり憤ったり、よくわかっていませんでしたが、振り返ってみると、この3つの自分がバラバラだったので、理解しようにも難しかったように思います。
もう一つの、動物的な自己は、行動、経験を司るので、高次元の自己に従順です。
私たちが一般的に「自分」と認識しているエゴや、自我たる自分は、周りの評価や意見を、まるで自分の願望のように勘違いして、願いをかなえようと一生懸命です。
願いを叶える力の、力比べでいえば、高次元の自己がレベル98のパワーを持っていたとしたら、自分のエゴなんてレベル2ほどです。
幸も不幸も全部含めて人生を楽しもう!いっぱい経験して、感動して、生きていこう!と決意している魂の前で、本心ではさほど行きたくないけれど、社会的成功者の像に惑わされて「将来は南の島でセミリタイヤ」なんて嘘のような願望は、決して実現しないといえます。
また、日常的に自分に嘘をつくことに慣れてしまっていると、高次元の自己や動物的な自己が「どうせこの人、また嘘をつくよね。今回の願望も結局は嘘よね」と、結果、何をしても願いが叶わなくなってしまいます。
統合についての大切さは、まついゆうへいさんのE-bookにも詳しく書かれていましたが、自分自身が嘘をついて隠してきたパンドラの箱を癒すことで、統合してゆくことができます。インナーチャイルドを癒したりすることは、この統合を目指していると理解してもOKのような気がします。
とはいえ、もっと日常的で簡単にできる統合の方法は、
私たちは、思っている以上に、日常的に嘘をついて生きています。
行きたくない誘いに、社会的な立場を考えて、行くと答えてしまったり、
喧嘩をしたくないという理由から、相手の理不尽な言動を我慢したり、
ダイエット中だからだと、食べたいご飯を我慢したり。
社会に生きているうえで、嘘をつかないということは、不可能に近いかと思いますが、せめて、大事だと思うこと、大事な身近な人に対して、信用を失いかねないことなど、自分自身を陥れるような嘘は、つかないように努力してみることも大切かと思います。
特に感覚的なことに素直に従ってみると、それが魂からの願いなのか、エゴの願いなのかがはっきりとわかるときがあります。あとは、動物的な自己による「行動」で、つかみとるだけでOKなので、自然と願いの叶いやすい体質に変わってくることでしょう☆彡
追伸;10年前のこのプリントにも、イメージングの大切さについて書かれてありました。
イメージングする際、できる限り五感を駆使することが基本です。五感を使うことで、動物的な自己に強く働きかける意味があります。動物的な自己はあなたの「潜在的パワー」の源なので、その自己に働きかけることで、パワーが発揮されやすくなるのです。イメージが強ければ強いほど「金型」が強くなります。そこに、行動というエネルギーを注入することで、実現するスピードが加速します。
この文章を読んで、最近勉強している「気の強さ」がすなわち、この方がおっしゃられている「動物的な自己」にあたるのかな?と思いました。
「出雲の神様にまかせなさい」という本を書いた清水義久先生も、願った瞬間に、金型がつくられ、そこにエネルギーが注入されると実現する、といった表現をされていますが、そのエネルギーが、動物的な自己であり、良い気のエネルギーでもあるのかな。
表現の仕方が異なるだけで、両者とも同じことを伝えてくれているんだなーと思うと、行きつくところはみな同じなのかもなぁ、、、