このブログをはじめて、
たくさんの「発見」のような、
変容につながる「アハ体験」のような「なるほど!わかったぞ!!!」という経験は、何度も重ねてきたのですが、
実際に、何が変化したのか、とか
結局は、何を求めているのか、が
曖昧なままな状態が、一番辛かったなーと振り返り。
心理学的なお話からひも解くと、変容するにもプロセス(段階)が存在していて、
ステップ1は自己確立
自分は何が好きで何が嫌いかを明確にする
そのために、様々な経験をする
ステップ2は自己受容(過去を許す)
自分の過去についてOKを出せること
あれはあれでよかったんだ、と心から思えること
ステップ3は自己肯定(未来を創る)
どんな自分でも絶対的な肯定ができる
不安がベースにならないので、好きな未来を想像できる
未来=過去の経験というリンクを外すことができる
このプロセスが、超絶!大事!
ステップ2の人が、未来を夢見ると、過去の自分の失敗や、低い自尊心に見合ったしょぼい未来しか描けない。
もしくは、自分を肯定できていないので、一般的な成功者という貧困なイメージしか浮かばない。自警を込めて、、、
例えば、お金が欲しいという願望も
「ハワイに別荘があって、年に数回遊びに行きたい」
「かっこいいスポーツカーに乗りたい」などの貧困なイメージ。
お金が欲しい本当の理由を魂から引き出すと
「周りの人が笑顔で安心の中で生活できるお金の回し方がしたい」
「相手の能力をお金というわかりやすい形で表現してあげたい」
所有しても、その価値は所有した瞬間に失うと思うと、所有欲はほぼなくなりました。
車を1000万円で購入したとて、1日でも所有すれば「中古(新古?)品」となり、次の日には800万円となる。しかも、欲しい人を探さなければいけない。
車が欲しいという欲求の後ろに、こんな高額な車を買うことができる、という自分を認めたいための1000万円、ともいえるよね。
例えば、家族が欲しい、という欲求も
「日曜日には公園に行って、幸せな家族だと思ってもらいたい」
「年賀状に幸せそうな家族の写真をとって送りした」など。
でも本当の願いから生まれてくる欲求って
「家族の全員がお互いを尊重し、いつも笑い声がうるさいくらいの家族になりたい」
「家族の誰かが困難にぶち当たっても、全力で応援できる家族でありたい」
「希薄でない、家族の絆が強い家庭を持ちたい」
そんな、自分サイズに見合った、具体的な未来を想像できるようになるのが、ステップ3なのかなぁと思っています。
昔、あるお坊さんに
「願いは叶います。実現を許してください」という言葉をいただいたことがあるのですが、実現を許すということは、自分を肯定しているときにこそ、許せるのかもしれません。
なり方より、在り方
実現を許せる自分である、ということ、つまり自己肯定なのかも?と思っています。